おうち時間が長くなる中、友人に勧められて魏徳聖監督の「セデック・バレ」と馬志翔監督の「KANO」を鑑賞しました。
どちらも実話をもとにした映画なのですが、この2本を一緒に見て考えさせられたことがあったので、こちらに書きたいと思います。
1930年、日本統治時代の台湾で起こった、抗日蜂起事件「霧社事件」をもとにした映画です(ただ、完全な史実ではなく、一部創作も含まれています)。
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「セデック・バレ」とは、蜂起を起したセデック族の言葉で「真の人」を意味します。
日本統治下で文明を受け入れるよう強要され、日本人からの差別・侮辱・搾取を受けていたセデック族が、自身の誇りをかけて武装蜂起を決意する、というストーリーです。
以下、個人的な感想ですが、日本人に支配され、先祖代々伝わる自分たちの「掟(ガヤ)」すらも守ることが難しくなったセデック族は、生きるも地獄、死ぬも地獄という状態だったのではないかと思います。
セデック族として生きる限り、日本人に搾取され続けることは自明。一方、死んでも「勇者の印」がないため「虹の橋」を渡ることができず、先祖の家に帰れない…。生きていても辛いし、死んでも先祖には会えない。
ならば、このまま日本人に支配されるのではなく、自分たちの「掟(ガヤ)」を守り、勇者となって祖先の家に帰ろう…という思いで霧社事件に至ったのではないかと思いました。
セデック族の人々にとっては、動詞としては同じ「死」であっても、日本人の言いなりになって死ぬのと、「掟」に基づいて勇者となり虹の橋を渡る(=日本人にわかりやすいように言えば、天国に行く、みたいな感覚?)のとでは意味も、捉え方もまったく異なるものなのだと思います。
また、ストーリーの本筋からはややそれますが、キャストの皆様の鋭い眼光や迫力、台湾の美しい景色も映画の見どころだと思いました。
「KANO」とは
1931年、夏の甲子園に台湾代表の嘉義農林学校(通称、嘉農/KANO)が出場した話を描く映画です。
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当時、台湾は日本統治下にあったため、全島優勝をした高校は甲子園に出場することができました。
嘉義農林高校(以下、KANO)の野球部はいわゆる弱小チームでしたが、日本人の近藤監督を迎えて、甲子園を目指して練習に励むことになります。
KANOの特徴は、漢人、原住民(注)、日本人の三民族で構成されたチームだということです。
当時、野球の強豪校は、選手は全員日本人というチームがほとんどでした。
しかし、近藤監督は民族関係なく、選手たちの強みを活かしてチームを作り上げていきます。
(注)台湾では、漢人がやってくる前から台湾に居住していた先住民族がいて、日本統治時代は「高砂族」とよばれていました。ちなみに、華語で「先住民」というと、すでに滅んでしまった民族という意味になるため、台湾では「原住民」という表記が用いられています。本記事も、それにあわせて原住民という言葉を使用しています。「セデック・バレ」に登場するセデック族も、原住民族です。詳細は、台湾行政院のHPからもご覧いただけます(日本語の解説動画あり)
www.cip.gov.tw
「セデック・バレ」と「KANO」を見て思うこと
2つの映画を比較すると共通点と相違点が出てきます。
まず、共通点は①時代が非常に近いこと、②日本人と台湾人(漢人・原住民)が登場するストーリーであることの2点です。
①2つの映画は時代が非常に近い
近いというより、ほぼ同時期に起こった出来事をベースに映画がつくられています。
「セデック・バレ」で主に焦点が当たるのは、霧社事件が発生した1930年です(主人公の青年期の描写もあるので、一部それより数十年前の描写もありますが)。
「KANO」は1931年に甲子園に出場しているため、霧社事件の1年後の出来事、ということになります。
②2つの映画は日本人と台湾人(漢人・原住民)が登場するストーリー
「セデック・バレ」では、台湾を支配する立場の人間として日本人が登場します。
「KANO」では野球部の監督と部員に日本人が登場します。特に、野球部の監督は、部員を指導する(=立場としては上)という状況が似ています。
2つの映画の相違点は
他方、2つの映画の相違点は、②で言及した日本人の、台湾人に対する姿勢です。
「セデック・バレ」では、日本人は原住民の文化を尊重しないどころか、彼らを搾取しています(具体例は書きませんが、映画を見ると、それはもう腹が立つ勢いです)。
他方、「KANO」では近藤監督が、漢人、原住民、日本人それぞれの強みを見出して三民族混成の野球チームを甲子園に導いていきます。
同じ時代に、日本人と台湾人とのかかわりを描いた映画であるにもかかわらず、一方は蜂起につながり、一方は民族の違いを乗り越えてひとつの目標に向けて共に励む姿が描かれています。
そうすると、例えば「セデック・バレ」に見られるような蜂起は、単に日本人がセデック族を支配したから起こったのではなく、セデック族の価値観や価値観を踏みにじり、搾取し、人としても尊重をしなかったことが根本的な原因なのではと思えてきます。
単に「そういう時代だったから暴動が起こったのだ」では済まされない、より根深い理由があったと思うのです(これが「時代のせい」だったのであれば、KANOのような出来事は起こらないはず)。
また、それは逆の見方をすれば、時代に関係なく、一方が他方を尊重しなかったり搾取したりすれば不満は募り、暴動が起こることも否定できないのでは、と思えてきます。
帝国主義時代の侵略・支配・搾取のことを話すと、「〇〇人」や国家など、大きな主語が用いられがちな気がするのですが、この映画に書かれているように、実際に支配や搾取をしていたのは個人個人の「人」であって、各人の行動が積もり積もって恨み・屈辱、そして蜂起といった歴史を作ったのだと思いました。
霧社事件やKANOの舞台であった1930年代から90年近くたった今の時代であっても、相手を尊重して接することが大切という事実は変わらないのだなと改めて考えさせられました。