まめはな雑記

台湾迷の日本人による、旅行記、読書録、その他メモ。台湾以外のネタも少々含みます。

【読書録】銃・病原菌・鉄

今回の書籍:

ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄』2012年、草思社文庫

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上下巻あわせると絵が完成。絵は、本の中で言及されるあるシーンについて描いたもの。

 

この本を読んだ理由

産業発展論か経済史を勉強した時に、先生に勧められて購入した一冊。

新型コロナの影響からか、最近「病原菌」と人類の戦いなどをテーマとした書籍が本屋でおすすめされているのを見て、何度か読み直したりしています。

 

読書メモ

格差侵略の勝者と敗者を生み出した要素は何なのか、丁寧に紐解いていく一冊。

どうやら自分は「考えようにもどこから手を付ければいいかわからない壮大な問題」を論理的に説明してくれる本が好きなようです。

この本といい、『サピエンス全史』といい、筆者はこんなにも答えを出しにくそうな問題を根気よく考え続けていて、すごいなあと思いました…。

dou4hua1.hatenablog.com

 
本書では、侵略する者とされる者を分けた直接的要因は、鉄製の武器(銃など)やそれを作る技術を持っていたこと、病原菌に対する免疫の有無だったとしたうえで、さらに、技術や免疫の獲得の差を生んだ要因は何か…ということを考察しています。

著者は、差を生み出す要因は食料生産であり、大陸・地域によって栽培化・家畜化が可能な動植物に違いがあったことが格差を生み出したと主張しています。
 
食料生産の開始(≒農業革命)による人口増加を人類史のキーとみなしている点は、『サピエンス全史』とも共通しているので、あわせて読むと理解が深まると思いました。

 

おもひでのポンフー①

SNSの通知によると、3年前の今日、筆者は澎湖にいたようです。

今日は当時の写真を通じて澎湖滞在を振り返りたいと思います。

 

澎湖とは

台湾海峡にある島で、澎湖諸島(ほうこしょとう)と呼ばれています。

中国語の読み方は「ポンフー(peng2 hu2)」です。中国語にするとなんだかかわいらしい発音になります。

澎湖の場所はこちらです。

 

台湾で唯一の離島県なため、台湾本島からだと船または飛行機でいくことになります。

筆者は、台湾人の友人に「船は酔うからやめておけ」と忠告されたので、台北松山空港から飛行機で澎湖に向かいました。

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ユニエアーの飛行機で松山空港→馬公空港へ向かいました。

 

澎湖の歴史

澎湖政府HPによると、今から約5000年前にすでに澎湖に人が住んだ形跡があったそうです。

17世紀になると、澎湖はオランダや明、鄭氏、清、最後は日本と、多くの支配を受けることとなります。

これは筆者の私見ですが、澎湖は、台湾海峡という位置にあることから、交易や軍事において重要な土地だったのではと思います。

澎湖を観光すると、砲台や要塞などがあり、軍事的に重要な位置にあったことがとてもよくわかります(一方で、あまり交易の跡は見られなかったけれど、どうなんだろう…)。

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一瞬「砲台!?」と思いましたが…

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フェイクの砲台です

 

ざっくり澎湖の支配の歴史をまとめると以下の様になります。

1604年、オランダ東インド会社が澎湖に上陸(1624年には台湾南部も占領)

1661年、そのころ中国を治めていた明が清に敗れると、明の遺臣で「反清復明」活動をしていた鄭成功がオランダ人を駆逐して澎湖を支配

鄭氏ともども明が滅ぶと、その後は清が澎湖を支配

1885年、清仏戦争で一時期フランスが澎湖に上陸(清は、ここで欧州列強が台湾を重視していることに気付く)

1895年、日清戦争で清が敗北。下関条約で澎湖および台湾が日本に割譲される

1945年、日本が第二次世界大戦に敗れ、ポツダム宣言で澎湖の領有権を放棄。澎湖は「澎湖縣」となる。

 

(参考)

www.penghu.gov.tw

 

澎湖の観光名所

離島ということもありビーチがとてもきれいです。

また、ハート形をした石͡͡滬もチェックインスポットとして有名です。

 

ただ、それだけでなく玄武岩や廟、水族館なども有名です(これは次の記事でまとめようかと思います)。

また、実は台湾で最も古い媽祖廟(澎湖天后宮)があるのも澎湖です。

jp.taiwan.net.tw

 

有名な食べ物は、サボテンです。

澎湖にはいたるところにサボテン(仙人掌)が自生しており、この実を使用した真っ赤なスイーツが人気です。

 

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サボテンアイス

サボテンについての詳しい話(ほかにどんなサボテン食があるのか、なぜ食べるようになったのかなど)は、以下のブログに書いています。

dou4hua1.hatenablog.com

 

その他澎湖のマニアックな話

観光客向けの情報ではないかもしれませんが、そのほか澎湖についての情報をまとめると以下の様になります。

  • 県章:「澎」の文字をデザイン化したもので、灯台と波がモチーフになっています。なんだかかわいい。

    県章 - 澎湖県政府

  • 県花:天人菊。原産は北アメリカらしいですが、台湾や日本に帰化している植物です。台湾だと、澎湖にしか生息していないんだとか。

    県花 - 澎湖県政府

  • 風が強い:澎湖は風が強い島としても有名です。夏の観光シーズンはそこまででもないのですが、冬は風が強く寒いようです。
    ちなみに、夏であっても台風が来ると当然ですが風が強くなります。
    澎湖に限らずですが、日本に大きな台風がくるとき、その台風は台湾も通過していることが多い(でも日本の天気予報ではそこまで言及はしない)ので、台湾の天気予報をみていると、この後日本にどれくらいの威力の台風が行きそうなのか、よくわかります。

 

ということで、まずはふりかえり①ということで澎湖の概要を整理しました。

②では実際に足を運んだ場所などをまとめようかと思います。

 

【読書録】サピエンス全史

今回は、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』を読んだ感想をまとめたいと思います。

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この本と出会ったきっかけ

大学生の時、生協に「●●先生おすすめ」として、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』が売られているのを見かけたことが、この本を買ったきっかけです。

「●●先生」の授業は楽しかったので、そんな方がおすすめする本であればさぞ面白いのだろうと思い、購入しました。

 
本の概要と感想

農業革命(=それまでの狩猟採集をする暮らしから、定住にシフト)によって人口とゆとり(余剰)が生まれ、食料生産以外の役割を担う職人等が生まれ、社会が発展する…というのは経済史や産業発展論で学ぶストーリーですが、この本では一歩踏み込んで、なぜホモ・サピエンスは社会を維持し、拡大し、交易まですることができたのか、という点について説明をしています。

 

農業革命については、経済史を学べば必ずと言っていいほど出てくる(それも序盤に出てくる)トピックです。

余談ですが、経済史で「農業革命」というと、①ここで言及しているような、狩猟採集経済→農耕牧畜経済へのシフトのことと、②英国の産業革命と同時に起こった資本主義的農業生産の開始、の2つを指すため、どちらのことを指すのか明確にすることが必要です(時代も内容もまったく違ってしまいます)。

 

この本を読むと、私たちは意外と、目に見えて触れることができる物体よりも、概念や創造の中の価値をよりどころに生きてきたことに気付かされます(宗教、神話、お金など)。

また、概念や価値を伝えるためには数字や言葉が必要となりますが、言葉を操れるというのはホモ・サピエンスの特徴であり、言葉こそが、ホモ・サピエンス食物連鎖の頂点に押し上げたのでは…と思えてきます。

 

www.amazon.co.jp

【読書録】台湾深見 ちょっぴりディープに台湾体験

今回は、一般の観光ガイドからさらに一歩踏み込んで台湾について紹介されている

片倉真理先生・片倉佳史先生の「台湾深見 ちょっぴりディープに台湾体験」という本ついて、書きたいと思います。

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『台湾深見 ちょっぴりディープに台湾体験』

 

 

この本と出会ったきっかけ

台湾滞在中(たしか2016年)に、この本の著者およびお写真を撮影されていた片倉佳史先生のお話を伺う機会がありました。

そこで、片倉先生が、台湾に関する書籍を執筆されていることを知り、その後も新しい本が発売されるたびに購入して拝読していたところ、この本に出会ったという経緯です。

さらに、2019年に台湾旅行に行った際、たまたま自分の滞在期間中に、片倉真理先生と片倉佳史先生が、この本に関連したイベントを開催されるということで、参加をしてきました。

本には書かれていない深いお話を聞くことができたのも大変印象的でした。

 

 

この本の特徴と感想

台湾という土地や文化だけでなく、そこに住む人にも焦点を当てながら、台湾の魅力を「探見」する本だと思いました。

台湾の観光名所や歴史だけでなく、現地に住む人はどういう思いで伝統行事に参加しているのか、どういう気持ちで店を経営しているのかなどなど…取材を通じて聞き取った台湾人の声もたっぷり掲載しています。

この声こそが、この本を「ちょっぴりディープ」たらしめている要素なのではと思います。
 

 
個人的に一番印象に残っているのは、台湾で初めてマンゴーの栽培に成功したおじいさんのお話です。

実はマンゴーは台湾土着の植物ではなく、1954年に台湾政府がアメリカから持ち込んだものだそうです。

それが、いまや台湾を代表する果物になり、輸出をするほどになりました。

自分も、台湾に行くたびにドライマンゴーやマンゴーケーキを買い込むのですが、それもこのおじいさんがいてこそだったのか…と思うと、じーんとくるものがありました。

 

 

もし私がこの本をお勧めするとしたら

全く個人的な考えですが、台湾のことはある程度知っていて、有名な観光地(台北、台南、高雄の観光名所)は既に行ったので、もう少しディープな旅がしたい!という方にお勧めしたいです。

また、旅行のガイドブックというよりは、旅先で関連のある場所や物をみたときに「これってあの本に書いてあったやつだ!」と興奮するような情報を掲載している本だという印象を受けました。

直近の旅行計画がなくとも、今後いつか行くであろう台湾旅行をディープに、おもしろくしてくれる本かと思いますので、台湾がお好きな方にはぜひ読んでいただきたいなと思いました!

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

【映画鑑賞録】「セデック・バレ」と「KANO」を見て思うこと

おうち時間が長くなる中、友人に勧められて魏徳聖監督の「セデック・バレ」と馬志翔監督の「KANO」を鑑賞しました。

どちらも実話をもとにした映画なのですが、この2本を一緒に見て考えさせられたことがあったので、こちらに書きたいと思います。

 

 

セデック・バレ」とは

1930年、日本統治時代の台湾で起こった、抗日蜂起事件「霧社事件」をもとにした映画です(ただ、完全な史実ではなく、一部創作も含まれています)。

www.u-picc.com

セデック・バレ」とは、蜂起を起したセデック族の言葉で「真の人」を意味します。

日本統治下で文明を受け入れるよう強要され、日本人からの差別・侮辱・搾取を受けていたセデック族が、自身の誇りをかけて武装蜂起を決意する、というストーリーです。

以下、個人的な感想ですが、日本人に支配され、先祖代々伝わる自分たちの「掟(ガヤ)」すらも守ることが難しくなったセデック族は、生きるも地獄、死ぬも地獄という状態だったのではないかと思います。

セデック族として生きる限り、日本人に搾取され続けることは自明。一方、死んでも「勇者の印」がないため「虹の橋」を渡ることができず、先祖の家に帰れない…。生きていても辛いし、死んでも先祖には会えない。

ならば、このまま日本人に支配されるのではなく、自分たちの「掟(ガヤ)」を守り、勇者となって祖先の家に帰ろう…という思いで霧社事件に至ったのではないかと思いました。

セデック族の人々にとっては、動詞としては同じ「死」であっても、日本人の言いなりになって死ぬのと、「掟」に基づいて勇者となり虹の橋を渡る(=日本人にわかりやすいように言えば、天国に行く、みたいな感覚?)のとでは意味も、捉え方もまったく異なるものなのだと思います。

また、ストーリーの本筋からはややそれますが、キャストの皆様の鋭い眼光や迫力、台湾の美しい景色も映画の見どころだと思いました。

 

 

「KANO」とは

1931年、夏の甲子園に台湾代表の嘉義農林学校(通称、嘉農/KANO)が出場した話を描く映画です。

eiga.com

当時、台湾は日本統治下にあったため、全島優勝をした高校は甲子園に出場することができました。

嘉義農林高校(以下、KANO)の野球部はいわゆる弱小チームでしたが、日本人の近藤監督を迎えて、甲子園を目指して練習に励むことになります。

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KANOの投手だった呉明捷選手の像@嘉義

KANOの特徴は、漢人、原住民(注)、日本人の三民族で構成されたチームだということです。

当時、野球の強豪校は、選手は全員日本人というチームがほとんどでした。

しかし、近藤監督は民族関係なく、選手たちの強みを活かしてチームを作り上げていきます。

(注)台湾では、漢人がやってくる前から台湾に居住していた先住民族がいて、日本統治時代は「高砂族」とよばれていました。ちなみに、華語で「先住民」というと、すでに滅んでしまった民族という意味になるため、台湾では「原住民」という表記が用いられています。本記事も、それにあわせて原住民という言葉を使用しています。「セデック・バレ」に登場するセデック族も、原住民族です。詳細は、台湾行政院のHPからもご覧いただけます(日本語の解説動画あり)

www.cip.gov.tw

 

セデック・バレ」と「KANO」を見て思うこと

2つの映画を比較すると共通点と相違点が出てきます。 

まず、共通点は①時代が非常に近いこと、②日本人と台湾人(漢人・原住民)が登場するストーリーであることの2点です。

 

①2つの映画は時代が非常に近い

近いというより、ほぼ同時期に起こった出来事をベースに映画がつくられています。

セデック・バレ」で主に焦点が当たるのは、霧社事件が発生した1930年です(主人公の青年期の描写もあるので、一部それより数十年前の描写もありますが)。

「KANO」は1931年に甲子園に出場しているため、霧社事件の1年後の出来事、ということになります。

 

②2つの映画は日本人と台湾人(漢人・原住民)が登場するストーリー

セデック・バレ」では、台湾を支配する立場の人間として日本人が登場します。

「KANO」では野球部の監督と部員に日本人が登場します。特に、野球部の監督は、部員を指導する(=立場としては上)という状況が似ています。

 

 

2つの映画の相違点は

他方、2つの映画の相違点は、②で言及した日本人の、台湾人に対する姿勢です。

セデック・バレ」では、日本人は原住民の文化を尊重しないどころか、彼らを搾取しています(具体例は書きませんが、映画を見ると、それはもう腹が立つ勢いです)。

他方、「KANO」では近藤監督が、漢人、原住民、日本人それぞれの強みを見出して三民族混成の野球チームを甲子園に導いていきます。

同じ時代に、日本人と台湾人とのかかわりを描いた映画であるにもかかわらず、一方は蜂起につながり、一方は民族の違いを乗り越えてひとつの目標に向けて共に励む姿が描かれています。

 

そうすると、例えば「セデック・バレ」に見られるような蜂起は、単に日本人がセデック族を支配したから起こったのではなく、セデック族の価値観や価値観を踏みにじり、搾取し、人としても尊重をしなかったことが根本的な原因なのではと思えてきます。

単に「そういう時代だったから暴動が起こったのだ」では済まされない、より根深い理由があったと思うのです(これが「時代のせい」だったのであれば、KANOのような出来事は起こらないはず)。

また、それは逆の見方をすれば、時代に関係なく、一方が他方を尊重しなかったり搾取したりすれば不満は募り、暴動が起こることも否定できないのでは、と思えてきます。

帝国主義時代の侵略・支配・搾取のことを話すと、「〇〇人」や国家など、大きな主語が用いられがちな気がするのですが、この映画に書かれているように、実際に支配や搾取をしていたのは個人個人の「人」であって、各人の行動が積もり積もって恨み・屈辱、そして蜂起といった歴史を作ったのだと思いました。

霧社事件やKANOの舞台であった1930年代から90年近くたった今の時代であっても、相手を尊重して接することが大切という事実は変わらないのだなと改めて考えさせられました。

 

 

【読書録】日本語と華語の対訳で読む台湾原住民の神話と伝説

先日、アマゾンで

『日本語と華語の対訳で読む台湾原住民の神話と伝説』

という本をみつけました。

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ちょうどこの本に出合う前、セデック・バレ(注1)を見て台湾原住民の神話に興味を持っていたので、購入し、読んでみました。

この記事では、上下巻を読んだ感想をまとめたいと思います。

 

(注1)魏徳聖監督の、霧社事件を題材にした映画。映画の中でセデック族の「掟(ガヤ)」について言及があります。セデックバレについては別の記事でもちょろっと紹介しています。

 

収録している神話・伝説

上巻では、アミ族プユマ族、タオ族、パイワン族ルカイ族の神話・伝説を、下巻ではブヌン族、サオ族、ツォウ族、サイシャット族、タイヤル族の神話・伝説を収録しています。

内容は民族によってさまざまで、民族の名前や祭祀、禁忌の由来、なぜその場所に居住するようになったのかなどが神話・伝説を通じて理解できるようになっています。

例えば、プユマ族の「プユマ」というのは「集合団結」を意味していたようなのですが、次第に集落の名前となり、最後は民族全体の名前を表す言葉になったという伝説がありました。

他にも、サオ族が日月潭周辺に子住するきっかけとなった「白鹿物語」、サイシャット族の祭祀である「パスタアイ」が行われるようになった背景などを知ることができました。

 

余談ですが、この本を読む前に、各民族が台湾のどの地域に住んでいるのか(海沿いか、山沿いかなど)を知っておくと、より伝説・神話を楽しめるように思います。

例えば、サオ族は日月潭周辺に住んでいるため、湖にまつわる話が収録をされています。また、タオ族(蘭嶼に居住)は海にまつわる話が登場します。

 

個人的感想

上下巻を読んで感じたこと・気づいたことは大きく2点ありました。

1点目は、独特な神話でありつつも、話の流れは古事記など他の神話とも共通する部分がみられたということです。

例えば、2種類の人が出会って子供を産み、島を繁栄させた話(タオ族、「竹生人と石生人」より)は、古事記に書かれているイザナギイザナミの国造りとなんとなく似ています。

ちなみに、この感想を友人に共有したところ、神話類型という分類があり、物語を類型に分けるという研究もあると教えてくれました。

(参考)物語の類型 - Wikipedia

 

2点目は、祭祀の中には、何かに対する感謝を示すことが由来のものだけでなく、祟りを起さないために行うものもあるということです。

例えば、サイシャット族の祭祀である「パスタアイ」は、タアイという小人による天罰が下らないようにするために行ったことが由来だそうです。

なんとなく歌を歌ったり、踊りを踊ったりするお祭りは明るい出来事が由来なのかなというイメージを抱いていたため、必ずしもそうとは限らないということに驚きました。

また、これは読み手の勝手な印象かもしれませんが、「そんな理不尽な…」という理由で祭祀を行うようになったというストーリーもあり、その理不尽さも含めてなんだか「神話」らしいなあと思いました。

 

台湾原住民の神話・伝説を日本語で伝えてくれる書籍はそうそうありませんので、この本はとてもよい勉強になるかと思います。

台湾原住民や、神話・伝説に興味のある方はぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

 

最後までご覧くださりありがとうございました。

あの世の門が開く、台湾の「鬼月」とは?

インスタグラムをぼやっと眺めていたところ、「鬼門開」というポストが多いことに気付きました。

台湾では今日から旧暦の7月=鬼月のようです。

ちょうど、台湾の祝日について勉強していたところだったので、鬼月について調べてみることにしました。

 

 

鬼月とは

旧暦の7月。霊界の門(鬼門)が開き、鬼や亡霊たちがこの世に出てくる期間です。

この期間は、ご先祖様だけでなく、悪い霊も一緒にこの世にやってきてしまうとのこと。

鬼や亡霊がさまよっているので、この期間にはいろいろなタブーがあります(後述)。

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鬼月限定のパッケージ。鬼が前面に出ています...



鬼月の中間(=旧暦の7月15日)は中元節は、最も多くの霊魂がさまよう期間といわれています。

そのため、中元節には家庭やお店の軒先にお供え物を並べ、霊魂が成仏するように祈ります(中元普渡)。

このほか、「放水燈」という精霊流しや、「槍孤」という儀式も行われるようです。

(出所)台湾交通部観光局 「伝統的な行事やイベント

 

 

鬼月にやってはいけないこと

鬼月にはやってはいけないタブーがあります。

例えば

  • 旅行・引越・結婚式はしない
  • 夜に洗濯物を外に干さない
  • お供え物をとらない
  • 水辺には近づかない
  • 殺生をしない

など。

鬼を怒らせたり、霊に悪さをされたりしないようにするためだそうです。

その一方で、これらのタブーの背景には、もともとこの時期は川などの水かさが増して水難事故が高まる傾向にあるため、水遊びを禁じる役割があった、との説明もありました。

(出所)外交部 TAIWAN TODAY「「鬼月」と呼ばれる旧暦7月の意味 : Taiwan Today

 

台湾に住んでいらっしゃる方のブログを拝見すると、もっとたくさんのタブーが書かれていて驚きました・・・。

鬼月には目立ったことはせずにじっとしていなさい、と言うことなのかなと思いました。