まめはな雑記

台湾迷の日本人による、旅行記、読書録、その他メモ。台湾以外のネタも少々含みます。

添削をして思ったこと

※この記事は2016年5月の投稿を移行したものです

 

留学後半戦もだいぶなみにのってきたところで、今回は留学生活の中で思ったことをひとつ取り上げて綴りたいと思います。

今回のテーマは《添削》

 

留学していると、日本語の作文レポートプレゼンの原稿の添削を依頼されることがしばしばあります。

筆者は中国語がまだまだうまいとは言えない状態なので、すでに日本語に翻訳された文章を添削するか、中国語の原本もみつつ本人の説明も聞きながら日本語訳に直していくことが多いです。

私以外にも、こういったことをやっている留学生は多く、試験直前やプレゼン直前期には添削依頼を受けていると言う友人がたくさんいます。

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ではなぜ、今回この《添削》をテーマとしたのか。

それは、この週末とこれを書いているまさに直前に受けた2件の添削依頼がきっかけでした。

 

1つは学部生の演習レベルのプレゼンの手元資料の添削。
テーマは日本のある古典文学作品の外来説と内出説について。

もうひとつは研究論文のレポートの添削。
テーマは日本の文化について。

 

どちらも私の専攻とは異なるテーマですが、大学受験や大学の教養の授業でふれたことはある内容でした。

しかし、添削を始めると、この添削(と部分的な翻訳)が非常に難しいのです。


6枚のレポートを添削しきるのに2時間かかりました。
てっきり、1時間くらいで済ませられるだろうと思っていた自分にとっては、非常に意外な結果でした。

また、文章の中に
「ここは他の日本人に見てもらったから大丈夫なはず」
と言われた部分があったのですが、軽く読んでみるとめちゃめちゃ直すべき点がたくさんあるじゃないか…ということもありました。
もちろん、同じ日本人留学生とはいえ、レポートを書いてきた回数や、読んできた論文の数には差があるので一概にその人を否定することはしませんが…
それでも「です・ます」「だ・である」の統一ができていないのはちょっとマズいんじゃないかと感じざるを得ませんでした。

さらに、たしかに中国語→日本語への1文1文の訳はあっているけれど、通して読むと意味が分かりにくくなっている、ということもありました。

 

この経験から、いったい添削の何が難しくてこんなに時間がかかるのだろうか
また
添削の際に私は何を意識しているのだろうか
ということについて、今後の添削(を依頼してくれる友人)のためにも、ここで整理してみようと思い立ったのです。

 

 

添削とは?

まず、ここで「添削」の定義を確認してみることにしました。

 

添削(てん-さく)[名](スル)

他人の詩歌・文章・答案などを、書き加えたり削ったりして、改め直すこと。

(出典)てんさく【添削】の意味 - goo国語辞書

 

文章をなどを改め直す、というのが私が《添削》としておこなっていることでしょうか。

たしかに、書き加えたり削ったりしています。

 

添削をやって「難しい」と感じたのは、どんなとき?

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添削をやって難しいと感じたのは、いったいどんな文章を添削した時だったのか…

ちょっと思いだしてみることにしました。

 

すると、「難しい」と感じるときには、2種類の状況があるなあと思えてきました。

ひとつめは相手の書いた【文章の意味が全く分からないとき、
もうひとつは相手の書いた【文章の意図がはっきりしないとき

このふたつです。

【文章の意味】と【文章の意図、とっても微妙な違いでわかりにくいと思うので、ちょっと説明していきます。

 

文章の意味

ここでいう「文章の意味がわかりにくい」とは、日本語の助詞や助動詞など、文法的なミスがあって、内容がわかりにくい、ということです。

特に、中国語は日本語よりも一文の内容が多くなる傾向がある(、と,を使い分けて多くの文をつなげていく)ため、主述関係が読み取れない場合があったりするのです。

また、時制の概念も言語によって異なるため、たとえば
「なっている」「なった」「なってきた」
といった微妙な表現の違いや、何種類もの表現の混在で、順序・因果関係・現在の状況が読み取りにくくなっている場合があります。

 

この場合は、文法や「日本人のセンス←めっちゃあいまいな表現」をもとに添削をしていけば、OKです。

 

文章の意図

文章の意図とは、この文章をどういうことを伝えたくて書いているのかということです。

そして、「文章の意図がわかりにくい」というのはその文章が日本語だとAという意味にもBという意味にもとれてしまう、つまりは相手がどういった主張をしているのか読み取ることができないということです。

ちょっとこれだけではわかりにくいので、具体例を出すことにします。
これは私が実際に添削した文章(を思い出して書いたもの)です。

 

「●●は新しく登場したカテゴリーであるが、それは単に新しいものに過ぎないといってもそれはまた真実である」

 

…これ、あなたならどう解釈しますか?

●●が新しいカテゴリーである、ということを強調したいのか

●●がただ新しいものに過ぎない、といっているのか

2つの捉え方があると思います。

 

そして、こういった文章を添削するのは非常に難しいのです。
なぜ難しいのかというと

原文ないしは相手の主張を通して、正しい主張の意図を確認しなければならない

私たちが自分の頭で勝手に解釈して文章を読み、添削してしまうことがある

からだと考えています。

そして、特に後者に関しては、言語教育や専門書・論文(読み書き両方)の経験値が少ない学生が、自分のその少ない経験によって、勝手に解釈をして読み進めている可能性が高く、注意が必要だなと感じています。

すると、例えばレポートの前半と後半でつじつまが合わなくなってしまったり、主張があいまいになってしまう可能性も出てきます。

冒頭で挙げた「一文一文は正しい日本語になっているけれど、全体を通して読むといまいち意味が分からない文章になっている」というのは、この結果起こってしまった可能性もあるのではないでしょうか。

 

添削の際に注意すべきこととは?

先の2種類の「難しさ」のうち、より難しいのが【文章の意図】を読み取るということを述べてきました。

そして、その難しさの理由の一つに、私たちが勝手に文章を解釈してしまうというというものがある、と書きました。

それでは、添削する側は何を注意して添削をしていけばいいのでしょうか。

 

 

私が思う添削の際のポイントは3つです。

1.自分で解釈しきれない部分は、本人に確認する

2.自分の価値観や文章の書き方を押し付けない

3.行間を読む

 

それでは、ひとつずつ見ていきたいと思います。

 

1.自分で解釈しきれない部分は、本人に確認する

これまで書いてきたように、添削をしていると

「ここはどういう意味なんだ?」
「筆者はどういう意見を述べているんだ?」

という疑問にぶつかることがしばしばあります。
その原因が、文法的な間違いである場合は、文法に従って添削をすればOKですが、もしも文法に従っても解釈しきれない、あるいはどの文法に従うべきかが判断しきれない場合は、潔く書いた本人に聞くべきでしょう。

うっかりすると、書いた本人の主張や論点をずらしたりしかねないので、たとえ時間がかかっても本人に確認をする必要があると思います。

 

2.自分の価値観や文章の書き方を押し付けない

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私を含め、学生はそれなりに論文を読んだ経験やレポートを書いた経験があるとはいえ、所詮は素人です。

そのため、レポートや論文などにふさわしい表現を知り尽くしているわけではありませんし、語彙も決して「十分備えている」とは言い切れないでしょう。また、いままで触れたことのない価値観もあるかもしれません。

そのため、無意識のうちに自分のこれまでの経験に過度に因った添削をしてしまう可能性があります。たとえば…

レポートの原文の中でちょっと堅いなと思った表現を、自分が知っている語彙に変更した。
しかし、そのレポートは教授が読むものであった。
教授が読むと、添削後の文章の中には、それを表現するのに適切な専門用語があるにもかかわらず、レポート内では一般的な言い方で書かれており、研究の対象を拡大解釈しかねないため、不適切な表現である。

これはまったくもって私の想像で作り上げた話ですが、こういうことがあっても不思議ではありません。
特に、自分の専攻以外の分野に関しては、専門用語や専門知識の不足はいたしかたないことです。
そのため、過度に自分の経験に因って、添削をしていくのではなく、その学問とその学問をしている筆者への敬意もこめて、辞書や例となるような文献を使ってできるだけ適切な言葉を選んでいくことが重要だと思います。

 

3.行間を読む

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1.2.を包括したものともいえまずが、やはり添削の際に最も重要なのは、行間を読むことだと思います。

単純な翻訳の間違いや文法の間違いだけをチェックするのも悪くありません。
しかし、相手がたとえ日本語におこしていなくとも、文章の行間を読んで、相手の文章をよりよいものにしたほうが、絶対に相手にとってはベターです。

たとえば

相手は原文ではこの表現を使っているけれども、ここは日本語に訳し切れていないのかもしれない
だったら、この表現を入れて、原文のニュアンスが伝わるようにしよう

というように、相手の意図や原文の内容をくみとって、よりよい文章・論の展開ができると、相手も喜ぶのではないかと思います。

 

また、添削の本来の意味は

他人の詩歌・文章・答案などを、書き加えたり削ったりして、改め直すこと

ですので、単に間違いをチェックして直していく、というのがすべてではありません。

 

もちろん、添削前後の文章で、どの表現を用いたことにより評価がどう変わったのか、ということは書いた本人にはわからないと思います。

だから、どの程度であれ、添削をすれば感謝をしてくれることは間違いないでしょう。

しかし、実際に自分が添削を依頼する立場になったとしたら、どうでしょうか?
単に文章の文法ミスだけチェックしておしまいにする人と、ちゃんと行間まで読んで添削をしてくれる人がいたとしたら、あなたはどちらに添削を依頼したいですか?

間違いなく後者ですよね。

依頼を引き受けて、相手が一生懸命書いてきた文章を添削する以上、こちらも全力で相手の文章を《添削》する責任があると思います。

そして、そういった姿勢が、留学先でのよりよい信頼関係人間関係を築くことにつながるのではないでしょうか。

 

おわりに

「添削をして思うこと」いかがだったでしょうか?

最後まで読んだくださり、ありがとうございました!

また次回更新の際も、ぜひよろしくお願いします。
それでは!再見囉!