中秋節に、馬祖にいった。行こうと思い立ったのが、中秋節の2日前だったので(無計画が過ぎる)、航空券や宿の残り具合を鑑みて、馬祖列島の島のひとつ、北竿に行くことにした。
台湾本島はだいぶ旅行したが、馬祖は初めて。というか、こんなに中国大陸と近い、台湾に行くのも初めてである。
というわけで、予習として色々調べたことをこのページにまとめようと思う。今回は北竿しか行かないけれど、他の島にも行きたいので、その時にも役立つであろう。
馬祖列島とは
そういった背景もあり、福州語が主要言語である唯一の県であり、陳、林、曹、王、劉の姓が多いという(北竿のツアーガイドさんいわく、北竿は王さんが一番多いらしい)。
複数の島からなっており、このうち、北竿と南竿に空港がある(松山空港から1時間ほどでアクセス可能)。
海抜はあまり高くなく、地質は花崗岩が主で、その石を切り取って建てた住居などは観光名所のひとつにもなっている。中でも、北竿の芹壁聚落には、その建築が完全な形で保存されている。
そして、参考情報までに、人口を見ると、男女比の偏りが激しく、男性の数が女性の2倍弱いるという(歴史が関係しているのだろうか)。
(参考)王昱堯、賴進貴『從資訊地圖看臺灣:用最直觀的資訊圖表,重新認識島嶼大小事』2022年、商周出版
※余談だが、この参考書籍、地図をベースに台湾を俯瞰・解説していてとても面白い。
馬祖の歴史
馬祖という名称の由来については、こちらの、交通部観光署馬祖国家風景区管理処ホームページに日本語で解説されている。
端的に言うと、現在台湾で「媽祖」としてまつられている少女が、父親を捜しに海に出たが遭難してしまい、悲しいことに遺体が馬祖のある島に流れ着いた、というのが背景(ここで、媽祖と馬祖、二つの表記が出てくる理由についても、諸説あるらしい)。
https://www.matsu-nsa.gov.tw/Articles.aspx?a=2866&l=3
そして、土地の開発については、もともと地理的に福建省と近く、漁民や資源開発を目的とした人の往来があったところ、1949年に国軍が駐屯して国防施設を建設した(ただ、実際に戦火に見舞われたことはないそう)。
この情報を調べた過程で驚いたのが、この馬祖という場所は、台湾であっても、日本統治時代を経験していない場所だということである。下関条約で割譲されたのは、台湾と澎湖諸島であり、馬祖(と実は金門も)含まれていなかった。台湾本島とは歩んできた歴史が少し異なる島である。ちなみに、そういう歴史が相まってか、この選挙区は国民党の得票率が高い。もちろんというか、この執筆時点で県長を王忠銘氏も国民党である。
1994年5月31日から、島への出入境制限が解除され、自分も含めて一般人が上陸できるようになっている。
(参考)交通部観光署、連江県(馬祖) > 交通部観光署
馬祖の気候
観光というか、旅行準備の段階で重要になるのが、現地の気候である。
台湾本島からはかなりはなれていることもあり、夏の気温は台北よりちょい低いくらい。ただ、9月末のある日の最高気温は、台北が33度、連江県が30度なので、どちらも夏日であることは変わらないようだ。
なお、馬祖の年間降水量は、台湾のほかの地域に比べると少なく、年平均で1500ml以下とのこと(ちなみに、台湾北東部は年平均で5000mlふるところもある)。
その他の注意事項
地図を見てうすうす気づいてはいたが、夜間は視界があまりよくないらしいので、日没後に一人でふらふら歩くことは推奨されないようだ(まあ、日本でも夜にふらつくことはあまり推奨されないが)。
https://www.matsu-nsa.gov.tw/Articles.aspx?a=2590&l=1
おまけ
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