ステイホームしていたある日、アマゾンプライムで『バーフバリ 伝説誕生』(以下、バーフバリ)が鑑賞できるようになったことを知りました。
バーフバリは、友人や家族から「すごくよかった!」という感想を聞いていたので見たいと思っていたものの見逃した映画だったので、これは見るしかない!と思い、おうちで一人、バーフバリを鑑賞することにしました。
この記事は、読書感想文ならぬ、映画感想文です。
公開からだいぶ時差があるので、ネタバレとか気にせず書き連ねます。では、いざ。
圧倒的スケールでツッコミの暇なく進むストーリー
古代インドを舞台にした歴史映画なだけあり、とにかくスケールが大きいです。
特に、マヒシュマティ王国とカーラケーヤ族の会戦シーンは、広大な空と土地の下で武力と知恵を活かした戦いが繰り広げられ、圧倒されます。
ちなみに、広大な「空」とあえて書きたくなるのは、飛行機もドローンもない時代に、空から敵を攻める手法が登場するから。ちょっとした知恵で敵を一網打尽にするシーンには「そういう戦術かあ…」と思わされます。
また、「いやいや、ありえんでしょ!」みたいなパワーと、身のこなしで敵を迎え撃つシーンにはツッコミが止まりません。
特に、バーフバリが自分の上に覆いかぶさった人々をはねのけて、敵のトップと対峙するシーンは、「どういうパワー!?」と思いました。服装と体型(全体的にみんな逆三角形のマッチョ)もあいまって、なんだかドラゴンボールっぽかった(なお本家を知らないので憶測)です。
強い女性がかっこいい
アヴァンティカとシヴァガミ妃に代表される「強い女性」が本当にかっこいい。
あくまで個人的イメージですが、アヴァンティカが風の谷のナウシカやベルサイユのばらのオスカルのような、いかにも「戦う女性」という印象。
こんなにきれいなのにこんなに強いの…とため息が出ますし、惚れます。
一方のシヴァガミ妃は、武術だけでなく、目力やオーラでも相手を圧倒する、まさに最強の女性というイメージ。
特に、無駄のない手捌きで敵を倒し、目を見開いて宣言を行う姿に、「ぜひ王妃が王座についてください…」(←映画内の大臣の台詞)と言いたくなります。
シヴァガミ妃の「この宣言を法と心得よ!!」は、自分の中で言ってみたい台詞暫定1位です。言う機会はないですが笑。
また、名前に「シヴァ」とあることについて、ヒンドゥー教の最高神の一人であるシヴァ神と音が似ているのは偶然なのか、崇高な存在であることの表れなのか、気になりました。
ヴァルナに従う剣士カッタッパ
王族の忠臣カッタッパが、手前が貴殿と食事をともにするなど…と発するシーンが複数回登場し、ヴァルナ(宗教的身分制度)が反映されていることがわかります。
カッタッパは武器を扱う身分のようですが、奴隷であるとのことなのでクシャトリアではなさそうです。
作者の意図したところではないと思いますが、忠誠心をもって己の使命を果たす的な人物の登場は日本人受けがよさそう、とも思いました。(その表れと思われる、シヴドゥに対する地面をえぐるスラディング敬礼がすごい)。
ちなみに個人的にインパクトが強かったのは、シヴァガミ妃が「カッタッパ!!」と叫ぶと同時カッタッパが参上、謀反を企てたものを「血で清める」シーン。その登場の仕方は剣士ではなく宛ら忍者のよう…。
あと、ふと気になったのはカッタッパの服装が思ったほどインドっぽくないなというもの。なんとなく、ペルシャとか、西欧っぽい雰囲気のある鎧を着ている印象でした。
気になって調べたところ、(時代が一致しているかまではわからないものの)、インドの甲冑はペルシャ由来の要素も混ざり合ってできているもののようでした。
(参考)【刀剣ワールド】アジア・アフリカの防具|世界の剣・刀剣・甲冑(鎧兜)
バーフバリの兄、バラーラデーヴァが不憫
シヴァガミ妃の実の息子であり、バーフバリの兄でもあるバラーラデーヴァは、マヒシュマティ王国の暴君です。
映画後半で、かつてバラーラデーヴァとバーフバリが等しく王座に就く権利を持っており、より強く、徳をもつ方が王になるという「法」のもと成長していったことが明らかにされます(ちなみにこの「法」は、シヴァガミ妃が「この宣言を法と心得よ!!」としたもの)。
バラーラデーヴァは戦士としては最強ですが、「勝つためには多少の犠牲は仕方ない。たとえそれが自国民であっても」という思考を持っているため、王には不向きです。
映画内では将軍に向いていると示唆されるシーンもあります。
しかし、幼少より、王座を獲得すること=俺の人生のすべて、という生き方をしてきているため、自分が王に向いてないなんて信じられないご様子。強さを見せつけ、敵を倒すことに躍起になります。しかし、自分らしい強さを発揮すればするほど、王座は遠のき、将軍向きと評価される不憫なところがあります。
(以下、完全に想像)
バラーラデーヴァの心の中を描くシーンはほぼないので憶測になりますが、バラーラデーヴァは王になれなければ、俺のこれまでの努力は何なんだ、俺の存在意義って何なんだ、って感じがあります。とにかく強くならねばならないと考えて成長してきた印象。
そんなバラーラデーヴァは武術における「強さ」に磨きをかけることはできた一方、民を守るための徳の高さについてはバーフバリに劣っています(カーラケーヤ族との戦いで、それが如実に現れる)。
シヴァガミ妃の「法」によれば、王になるには強さと徳の高さが必要です。しかし、映画内にバラーラデーヴァが武術を磨く描写はある一方、「徳の高め方」を考えているシーンは一切登場しません。というか、バラーラデーヴァはそういう「徳の高め方」みたいな抽象的考えをしそうな人物にも見えません(そういう点もまた、からが王には向かないことを示唆しているように思えます)。
他方、王座を争う異母兄弟のバーフバリは武術に長けているうえに徳も高い。バラーラデーヴァはそもそも「徳の高め方」とか考えていなそうなので、王座に就くためには自分が徳を高めるのではなく、バーフバリを消すしかない…という思考になったのではないかと思います(実際、バーフバリを消そうとしたものの、カッタッパの登場でやり損ねてしまう、というシーンがあります)。
なんというか、王座=俺の人生のすべて、というある意味狭い視野の中に閉じ込められて生きている感じ(しかも、バラーラデーヴァ自身や周りの人も誰一人それに気づいていない)が不憫に思えてなりませんでした。なんというか、すごい稚拙なまとめですけど、出世競争において、自分が伸ばしやすい力だけがむしゃらに伸ばせば良いと思っている節がある、ある意味愚かな人物だなと。或いはその人生が出世競争に置かれているが故に、実の母もその点指摘しなかったんだろうか(それとも指摘されても耳をかさなかったのか苦笑)など…いずれにせよ出世競争に人生全てを飲み込まれた人物と映りました。
バラーラデーヴァが最初から将軍になることを目標に成長していれば、バーフバリを貶めようとするダークな人物にはならなかったんじゃないかなあと思います。
最後に
主人公(バーフバリ)に対する感想というよりむしろその周りに対する感想ばかり書き連ねてしまいましたが、力と知恵に圧倒される壮大な映画でした。
この記事の感想はやや複雑(というか勝手に深読みしただけ)ですが、気楽に見て楽しめる映画なので、どっぷり映画に浸りたい!圧倒されたい!というときにご覧いただくとハマると思います。
以上、バーフバリの映画鑑賞録でした。